日記とはいいながら先日のこととなりますが、おじさんは大学時代の友人とお酒を飲みに行きました。
(写真は飲みに行ったこととはなんの関係もない、ただ単におじさんが好きなお酒です)
久しぶりに会って飲んで話をしたのですが、出会いは大学時代でももう40代のおじさん二人。
話すことは子育ての話か健康の話。
20代のころは趣味や社会問題について話し、30代には仕事の話をしてきましたが、話す内容にも年月を感じつつ。
それでも一通り近況の話を終えれば、今度は思い出話になるもので。
そこでおじさんは驚くことを言われたんです。
大学時代、おじさんは怖くてでとっつきにくい存在だったというんです。
そして、お酒を飲まなければおじさんの面白さはわからない、しかも
お酒を飲んでも厳しいことを言うのは変わらない、というんです。
これには本当に驚きました。
なぜなら、今でもですが大学時代のおじさんは特にただただ臆病で、気後れすると上手く話すことができなくなっていただけだからです。
それに体も痩せていてどちらかといば弱々しい存在だと思っていましたし。
そしてお酒を飲めば確かに話しやすくはなりましたけれど、それでも間違ったことをいうのが怖くてただ自分が正論と思っていることを話していただけだと、おじさんは思っていたからです。
つまり、当時おじさんが自分に対して抱いていた印象と周囲が受けていた印象は真逆に近いものだったのです。
この話を聞いて、20代の頃のこととはいえ、本当に自分のことはわかっているようでわかっていないものだなあ、と思ったのです。
自分がどんな人間なのかは、自分が勝手に決めることができるものではないんですよね。
結局、周りがどう評価してくれているのかが大事なんですよね。
だって、周りに誰もいなければ自分がどんな人間なのかなんてどうでもよくなってしまいますから。
人と接するときに初めて自分はこんな人間なんだとか、自分はこういう人間でありたいんだ、みたいなことが必要になると思うんですよ。
そのギャップが大きければ大きいほど、自分が思っているより自分のことをわかっていないとうことになると、おじさんは思うんです。
いやあ、やっぱりたまには周りから見た自分の評価というのを聞いてみる必要がありますね。
そうしないと、思わぬところで誤解や行き違いが発生する可能性がありますからねえ。
ただ、このギャップというのは一人でいくら考え込んでいてもわからないんですよね。
どうしたって周囲の人に聞く必要があるものですから。
そして、それはおじさんには少々恥ずかしく、聞きにくいことでもあります。
お酒の席で思い出話の一つとはいえ、こういったことを伝えてくれた友人に対して改めて、有り難い存在だなあと感じたおじさんなのでした。
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