教えるということについて考える

仕事の話
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 おじさんもおじさんと言われるくらいには年齢を重ねてまいりまして、そうしますとね、特に仕事などの場では教えるという立場にもなるわけでして。

 ですがね、この教えるということが本当に難しい。

 いえね、おじさんがやっている方法やおじさんの考え方をただそのまま伝えていいのであればですね、お手本がありますからまた話は変わってくるんですけれどね。

 ですが今はですね、相手がですね、おじさんのやり方や考え方を押し付けられたと受け取ってしまうとですね、老害なんて呼び方をされてしまうものでね。

 気にしなくてもいいのかもしれませんけど、おじさんはこういう評価は気になってしまうものでね。

 そして結局どうなるかというとですね、仕事の段取りは教えてもやり方や考え方は教えない、という場面が往々にして出てくるんですね。

 おじさんに詳しく聞きたいと思うなら聞いてもらえればもちろん答えますけど、そうでなければ詳しくはWEBで、みたいな感じですね。

 これね、向上心のある人ならそれでも問題ないんですけど、そうでない人に対しては結構見殺しみたいなところがあるとおじさんは思うんですけどね。

 だってね、失敗するやり方、非効率なやり方、転職や後輩ができた場合に評価が下がるやり方を見て見ぬ振りをするのですから。

 それもその人の経験に繋がるのだからおじさんの勝手な判断でその経験の場を奪ってはいけない、口の出し過ぎは良くない、という考えというか言い訳をしてみてはいるんですけど。

 まあ、おじさんの仕事のやり方や考え方もね、それなりの年月をかけて築き上げてきたものですから、いくら仕事だからとはいえ、いや仕事だからこそ、ですかね、ある程度リスペクトし合う関係でないと教えたくないというのが正直な気持ちですしね。

 だって、それって結局おじさんの飯の種ですから。

 考え方ややり方はだんだんと古くなっていくことは仕方ないとは思っていますが、それでこの年まで飯を食ってきているのですから。

 もったいぶるつもりはないですが、あまり軽々しく考えてほしくないとやっぱり思ってしまうんですよねえ。

 おじさんの器の小ささも問題かもしれませんがね。

 ですけどね、おじさんの言い訳ですけどね、教える側にも教える技術が必要だとは思いますけど学ぶ側にも学ぶ技術が必要だと思うんですよ。

 学ぶ気持ちでもいいんですけどね。

 とにかく相手が自分にないものを持っていると思うのならばそこから学ぼう、学ばせていただこうという姿勢ですよね。

 昔おじさんが聞いた話ですけど、学ぶは真似るの形が変わってできたそうです。

 そして、おじさんも学ぶことはまず真似ることだと思っています。

 真似てみた後で、必要かどうか判断して取捨選択すればいいと思うのです。

 真似る前から、学ぶ前から相手を批評したり見下したりする必要はないと思うのです。

 それは結局、学ぶことができない自分を正当化したいがための言い訳だとおじさんは思うのです。

 成長できない自分を認めたくがないために、お手本の方が悪いんだと言っているだけのような気がするのです。

 真剣に学ぼうとすれば、相手のことを観察しますし、見てもわからないとなれば相手に質問すると思うのです。

 それが学ぶ側の姿勢というか技術だとおじさんは思いますし、それがあって初めて教える側の技術、相手のレベルに合わせて相手が理解できる言葉や行動で伝えるということが必要になると思うのです。

 教える側が腰を低くしていてはあべこべだとおじさんは思うのです。

 おじさんはそこまでして教えたいとは思いませんし、それなら段取りや手順はは教えるから後は自分で努力して頑張って、なんて言いたくなるのです。

 まあ、そんな器の小さなおじさんですが、それでもやっぱり教えて下さいなんて言われると嬉しくなるのも事実なので、後輩にそんなふうに言ってもらえるように仕事なんかも頑張ってしまうんですけどね。

 

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