常識というものに対して思うこと

仕事の話

 仕事をしていると特に思うんですが、「これぐらい当然でしょ」とか「これぐらいは常識でしょ」みたいなことを言われること、あるんですよねえ。

 でもね、おじさんはね、この「常識」という言葉、物凄く胡散臭いと思っているんですよね。

 おじさんが思うにほとんどの場合ね、常識って言われるときって相手にとって都合の良い捉えられ方をされていることが多いんですよ。

 仕事で言えば、ここまでをおじさんの仕事としてやってもらえるなら自分(相手)が助かる、みたいなね。

 ですからね、おじさんは仕事中に「常識」って言われたときはね、誰にメリットがあるのかとかね、その常識と言われる仕事に対価は支払われているのかをね、気にするようにしているんですよ。

 そうするとね、ほとんどの場合、お客さんにメリットがあるのではなくその常識という表現をしている相手にメリットがあるとかね、対価のない仕事だったりするんですよ。

 おじさんはね、特に仕事であるならばね、対価が支払われることが必要で、対価を支払わない依頼は相手が誰であれ個人的なこだわりかもしくは趣味だと思っているんですよ。

 ですからね、「常識」の一言で仕事を依頼してくる人に対しておじさんはこの人要注意として距離を置くようにしてしまいます。

 かの有名な物理学者アインシュタインは、「常識とはその人が身につけた偏見である」みたいなことを言ったそうですが、おじさんもホントそう思いますよ。

 本来は偏見であったり一歩的な価値観であるにも関わらず、「常識」という言葉で議論する場を設けることなく一方的にやり方や考え方を押し付ける、「常識」という言葉、表現にはそんな強制力があるとおじさんは思っているので、「常識」という言葉、使うときも使われるときも要注意、よくよく背景を想像することが大事だとおじさんは思いますよ。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました