筆ペンでね、独特な字を書く「己書」の体験をね、させていただいたんですよ。
なんでもね、一定のルールはあるみたいなんですけどね、基本的には自由に書くものらしくてね、横線を丸で書いたりとか、右から左に書くのを左から右に書いたり、上から下に書くのを下から上に書いたり、書き加えたり等々、好きに書いてね、楽しむものみたいなんですけどね。
いやね、体験で少し書いてみたんだけれども、自由に書いていいって言われてもね、意外と難しくてね。
というのもね、今までの自分のね、常識みたいなものがね、邪魔をするんですよ。
大きく丸を書いていいって言われてもね、筆ペンの毛先を潰すのを躊躇って小さくなったりとかね、書き順も好きにして良いって言われてもやっぱり普段の書き順でね、書いてしまったりとかね。
かと言って、自由に書きすぎるとね、字のバランスが崩れすぎてまとまらなくなってしまったりとかね。
自由に自分の思った通りに書くっていうことがね、こんなにも難しいことなんだとね、思ったんですよ。
でもね、それと同時にね、凄く楽しくもあったんですよ。
自由でいいっていうことはね、答えがないんですよ。
正解の字っていうものがなくてね、その人らしさが表現されていれば良いわけで。
そうするとね、書いた本人はね、やっぱりこだわりとかイメージがあるから失敗したとか、もっとこう書きたかったとか、もちろんあるんですけど。
でもね、教えてくれた師範の先生はね、社交辞令ももちろんあるのは理解していますがね、誉めてくれるんですよ、いいですねって、個性が出てますねってね。
それでね、おじさん、思ったんですよ。
この己書ってね、相手の書いた字や作品をね、誉めやすいというか認めやすいってね、そういう魅力があるんじゃないかってね、そうおじさんは感じたんですよ。
だってね、お手本やルールはあっても答はないですからね、ほんと自由に書いていいとなればね、正しいっていうことにね、縛られなくて良いんですよ。
こだわるのはその相手の自由ですけど、それを教える人はね、相手を否定しなくて良い、ただ相手を認めてあげればいいのかなっておじさんは思いましてね、そしてそれが凄くね、素敵なことだなあってね、なんだか嬉しくなったんですよ。
そりゃね、きちんと習おうとすればお金を払って教室に通ってっていうね、そういう面ももちろんあっての体験ですからね、そういう意味合いもあるかとは思いますけどね。
でも少なくとも体験ではね、正しい答がないが故にね、正しいということに縛られることなくね、お互いを認め合ってね、そしてお互いの良いところを見つけて誉め合うっていうね、そういうことに繋がるのかなって思いましたしね、そしてそれはとても素敵なことだなってね、おじさんは思ったんですよ。
こういう考え方がねえ、普段の生活や仕事の場でも活かせましたらねえ、おじさんの抱えるストレスも少しはねえ、軽減される気がしたんですよねえ。
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