長生きするということについて考える

介護の話
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 おじさんは介護の仕事をしていますのでね、時折、介護させていただいている方と自分の姿を重ね合わせてしまうことがあるんです。

 その他にもね、職場のスタッフとね、長生きすることについて話すこともあるんです。

 そのときに感じることがね、長生きすることに対するリスクがね、大きいということなんですよね。

 それはね、お金の問題だけではなくてね、自分の意思でね、色々決めることができなくなるということなんですよ。

 おじさんの考えるね、悪いケースとしてはね、生かされてしまう、ということなんです。

 どういうことかというとね、自然に老衰で旅立ちたいとおじさんは思っているんですけれども、その時にね、おじさんが意思を表現することができなくなっていてね、で、自然に老化で機能しなくなった器官をね、代わりのもので代用されるとね、旅立つことができなくなってしまうということなんです。

 心臓ならペースメーカー、食べれなくなれば胃ろう、排尿・排便ができなくなればストーマなんかでね、延命措置できてしまうんです。

 これね、おじさんがまだ生きてやりたいことがある状態であればね、非常に有り難い処置なんですけれどもね、もうおじさんがやりきったと、もう十分生きたと思った状態で行われるとね、おじさんとしは正直少し困るなってね、今現在では思ってしまうんです。

 いつかのエッセイでも書きましたけれどもね、延命措置ってね、体が元気な状態に戻るわけではないんですよ。

 だからね、やりたいことができるようになるならそりゃもちろん嬉しいですけれども、そうでなければね、ただ生かされるって状態になるのがね、色々辛いだろうなってね、今の時点ではそう思うんです。

 割とこういう価値観はね、同僚となら共有できたりするんですけれどもね、でも中々身内ですとね、そうは言っても実際にそんな状況になったら簡単には割り切れないし諦めきれないと思うよって言われることが多いんですよねえ。

 もちろん、体も頭も動くうちならね、良いんですけれどもね、おじさんとしては少なくとも80歳を過ぎたらね、もう十分かなって今は思いますしね、そのときに自然に老衰で旅立てるようにするにはね、やっぱり延命措置は諦めておいたほうが良いかなって、自然に早く旅立つ日が来るならそれも運命かなって受け入れるほうが良いのかなって、思ったりもするんです。

 そうでないと、延命措置のために旅立てないという状況がですね、思いの外長くなってしまう可能性もありますのでねえ。

 こういう価値観や考え方はね、個人によっても年齢によっても色々変化していくとは思いますのでね、折を見つけては家族と話をしてね、意思の共有をしておくのが大事になるのかなって、おじさんは思っているんです。

 

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