仕事としての介護

介護の話
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 おじさんね、介護の仕事をしているんですけれどもね、仕事が終わりますとね、ものすごく開放感を味わうのでございますよ。

 介護の仕事が嫌いとかね、そういう話ではなくてですね。

 介護の仕事中はね、あんまり意識はしていないんですけれどもね、やっぱりね、それなりにプレッシャーがあるんですよね。

 特にね、事故とか怪我とかね、そういう事態が起こらないようにね、神経を使ってしまうんですよねえ。

 もちろんね、理屈ではね、ある程度の事故や怪我はね、防ぎようがないとね、理解しているんですよ。

 これはね、責任の放棄とかそういう話ではなくてですね、今の介護の現場ではですね、身体や精神の拘束をね、してはならないという方針がありますのでね。

 ですからね、自傷行為がある方やね、危険行為が判断できない方の歩行なんかにつきましてもね、原則、行動に制限をしてはならないとなっているんですね。

 まあ、そうしないとですね、スタッフの一存でね、ご本人様の意に背いた介護をしてしまうことになりますのでね、そういう意味ではですね、必要な考え方なのではございますがね。

 ですけどね、ご本人様の意思で行動をするということ、言い換えれば自由にはね、それなりのリスクもありましてね、例えば歩けば転ぶかもしれない、ベッドに移ろうとすればずり落ちるかもしれない、なんてことがね、当然起こり得るわけでしてね。

 同様のリスクはね、おじさんにも当然あるのですがね、ただ高齢の方については、同じリスクでもその結果の影響がどうしても大きくなってしまいますのでねえ。

 さらに認知症なんかを発症していますとね、こちらの言葉や説明なんて伝わりませんからねえ。

 そのような状況で自由に行動されていればね、怪我や事故のリスクはさらに大きくなるわけでしてねえ。

 そんな状況では心配事も増えますし、多少なりとも緊張はしてしまうんですよねえ。

 ですからね、仕事が終わりますとね、その緊張感から開放されてホッとしますし、何事もなければね、それだけで良い一日だったなあなんてね、そう思えるのでございますよ。

 ですがね、おじさんはあくまで介護を仕事で行っていますのでね、当然勤務毎に終わりの時間があるわけでね、そういう意味ではですね、チームで介護にあたっているからこそホッとする時間も迎えられるわけなんでございますが。

 これが在宅でね、1人ないし2人くらいでね、介護をしていましたならばね、緊張感から開放される時間が極端に減りますのでね、物凄くお辛いだろうなあなんてね、想像してしまうのですよ。

 なのでね、公的なね、援助が受けられるならばね、積極的に受けてほしいとね、おじさんは思いますしね、おじさんも介護が必要になったならばね、積極的に公的な支援を受けたいとね、そう思っているのでございますよ。

 その方がね、おじさんも家族も我慢が少なくて済みましてね、結果的に平和な時間が多く取れるとね、そう思うのですよ。

 まあ、おじさんが介護を必要としたときにね、介護を提供してくださる方々がね、どれほどいるのかは気にはなりますけれどもね、そのあたりのことにつきましてはね、正直神頼みしかないかなあ、なんてね、割と脳天気なおじさんは思っているのでございますよ。

 

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