年齢が上がっていくことをね、年をとるという表現と年を重ねるという表現がありますね。
でね、大体の人がね、年をとることを嫌がりますね。
おじさんの周りですとね、体力が無くなるとかね、体型が崩れるとか言ってね、若い時と比べてマイナスの要素が気になってしまうことが多いみたいなんですよね。
で、おじさんはどうかと言いますとね、おじさんは年を重ねるという表現のほうが好きなんですよね。
若い時の考え方や感じ方がね、おじさんにはどうも青臭いというか未熟というイメージが強くてですね、そりゃ今でもまだまだ成熟できていない自信はありますがね、それでも若いときよりはいくらかマシかな、なんて思っているんですよ。
だからね、経験を積んできたという意味合いを込めましてね、年を重ねてくることができたなんてね、おじさんは思うんです。
話に聞きますとね、海外では年を重ねることの方が価値があると捉えることが多いみたいなんですがね、日本では若いほうが価値があるというかね、柔軟な発想ができることに価値があり、年をとると頭が固くなるというイメージで話されることが多い気がするんですよね。
これね、半分正解で半分間違いだとね、おじさんは思うんです。
たしかにね、若い人のほうが新しいことにチャレンジしたりね、活用したりする力はあるとは思いますけれどもね、少なくともおじさんはね、若いときのほうがね、今よりも確実に頭が固かったとね、自信を持って言えるんです。
視野が狭かったとも言えますけれどね。
物事を正しいか間違っているか、ゼロか百かみたいな感じで判断していたんですよね。
実際にはね、正しいか間違っているかなんて立場によって変わりますし、グレーゾーンの方が多いというか、グレーゾーンの幅を広く持っていたほうが気持ちに余裕を持てますし、周りに優しくもできると思うんですけれどもね。
これ、仕事に対してもそうでして、仕事を第一に考えられないなんておかしいみたいなね、職場に迷惑をかけないことが一番大事みたいな考え方をね、自分に対してだけ使うならまだ良いんですけれどもね、周囲の人にも同じ価値観を強要していたのはね、若い時の方が多かったんですよ。
おじさんだけかも知れませんけれどもね。
でもね、年を重ねてね、色んな立場の人の話を聞いたり見たりしてきますとね、当然そんな訳は無くてですね。
仕事に対しても何にしても、おじさんと同じ優先順位、おじさんと同じ熱量で取り組む人なんていないのが当たり前でしてね、でもそんな当たり前が理解できない頭の固い状態がおじさんの若い頃だったんです。
そう考えますとね、少なくともおじさんはね、今のほうが頭は柔らかくなったとね、自信を持って言えるんですよ。
更に言えばですね、若い頃のおじさんは結果が出ないことは意味がないなんてね、今考えると本当に頭の悪い考え方をしていましてね。
結果が出せそうにないことは、自分がやりたいことであってもやらないという選択をしてきたんですよ。
今考えると本当にもったいないと思うんですけれども。
やってみなくちゃ分からないことなんてたくさんあるのにですよ、若い頃のほうがね勝手に結果を想像してね、やるやらないを判断したりね、更に質の悪いことに、結果が出せそうだと思ってやると判断したことで結果が出なかった時には周囲のせいにしたりしてね。
いやはや、今思い出しても恥ずかしくその頃一緒にいた方達には大変申し訳ない気持ちになるんですがね。
まあ、そんな感じでね、考えも精神的にも若い頃のほうが未熟であると、そしてそういう失敗や経験を積んで多少なりともマシになったのが今のおじさんであればね、やっぱり年は重ねてきたんだなぁってね、おじさんは思うんですよ。
おかげでね、今になってね、若い頃にはできないとか意味がないと思ってやらなかったことにもチャレンジするようになりましてね。
そのお陰でね、若い頃と比べても大変充実した時間をおじさんは過ごせているとね、そんな実感もあるんですよ。
そりゃあね、体力の衰えとかね、記憶力や頭の回転の低下はありますよ、ありますし実感もしますけれどもね。
でもね、それを理由にやらないという判断をしない、結果がどうあれ経験を積むことを楽しめる、周りの目や評価は二の次にできる、そんな気持ちはね、おじさんは今の年齢になってようやく手に入れたものなんですよ。
若いときに比べて恥ずかしいと思うことが減ったというよりはね、意味のないプライドが無くなってね、良い意味で図太くなったとね、おじさんは思っているんですよね。
そんな心持ちだからこそね、今こうしてブログなんて場を設けてね、日記をつけることができているわけですしね。
ということでね、これからも色々な経験や知識を蓄えながらね、しっかりと年を重ねてね、人生を楽しめるだけ楽しみたいとね、おじさんは思っているんですよ。
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